Azaです。閲覧ありがとうございます。
チエミ先生の英語
行きます。
――――引用ここから―――
さて、本日のテーマは l love you.
といっても愛について語ろう
というものではありません^^。
英語と日本語はとても違うでき方をしていること
は常々レッスンでもお話しています。
大人の脳は、その違いをはっきりと
認識したほうがすっきりと
前に進めると思っています。
英語と日本語の一番の違いは、
“主語と動詞”を使い
常に文章を組み立てるか。
ということです。特に会話において。
日本滞在中、親戚のおばさんが
子供たちにお小遣いを渡そうとしたとき、
おばさんは「裸でごめんねー」といって
千円札を渡してくれました。
すると、子どもたちは目をパッチリさせて、
おばさんを舐めるように見るわけです。
そう、裸なのは
おばさんではなく、
お金です。
主語を言わなければ
文章にならない英語のなかで
生活していると、
主語がない日本語は
いかようにも
解釈できてしまいます。
これは、昨今よく聞く
【自己肯定/自己否定】と
大きく関わっているような気がします。
日本では若者(子ども)の自殺が、
他の先進国に比べて
ダントツに多いと聞きます。
子を持つ親として、
【なぜ日本は子どもを
自殺させてしまうのか】を
考えさせられます。
ここには【日本語の特性】が
関わっているようにも思います。
子どもたちが学校に行くとき、
寝るとき、夫婦間でも、
子どもが大きくなった親子間でも
英語では
“I love you.” が交わされます。
これは、何か特定の行動をした後に
発せられるわけではないわけで、
何もしなくても、I love you.なのです。
これに匹敵する日本語は。。。。。
私の考えられる限りではありません。
そのまま訳せば、
“わたしはあなたを愛してます”に
なりますが、
会話で主語や目的語を省く日本語にとって、
こんな言葉はちょっと不自然です。
文化的背景?からも、
家族や夫婦間では
<言わなくてもそんなことわかるでしょ>
的な感覚があるのも私たち日本人ですよね。
旦那さんにこんなことを言われたら、
「あんた、なんか悪いことでもしたの?」と
聞きたくなってしまいます(笑)
さらに注目していただきたいのは
loveという動詞です。
これは私たちは文法の説明で<現在形>と習いました。
<現在>と聞くと=<今起きていること>のように
私たちは解釈しがちですが、
ちょっと違います。
私が、生徒さんに説明するときは
これは<現在形>ではなく
<事実形>と説明します。
例えば、
I play tennis.
I cook dinner.
という文章は、
I love you.と同じ構造です。
動詞の時制も同じです。
これはいずれも、
今テニスをしているわけでも、
今夕食を作っているわけでもありません。
“わたしはテニスする人なのよ”
“わたしは、夕食作る(タイプ、そういう人)よ
(外食じゃなくて。。。)”というふうに、
<現在の行動>を行っているのではなく、
<そういう事実>を言っています。
ということは I love you.も、
<現在のこと>と捕らえるよりは
、<時間的な問題は関係なく、
いつもそういう事実だよ>と
はっきりと相手に伝えることが
できるわけです。
日本語はあいまいにできているため、
この辺が本当に苦手です。
子どもが何かよいことをした時、
「えらいねー、がんばったねー。
よくできたねー、」とほめることはできます。
でも、何もしていない状態で
愛情を伝えるには日本語で
なんと言えばよいでしょう。
おそらく、社会的背景から言えば
<言わなくてもわかるでしょ>という感覚が
強いと思います。
例えば、<そんなこと
いちいち言葉で言わなくても、
毎日早く起きてお弁当作ってあげてるんだから、
子どもはわかってるはず>と、
私たち、特に母親は思いがちではないでしょうか?
これは私自身の経験でもあります。
<行動による愛情表現は、
行動による見返りを期待しがちである>ことに、
ある時点から気づきました。
毎日せっせと家事をして、
子どもの制服も誰に見られても
恥ずかしくないようにきれいに整え、
早朝から立派なお弁当を作り。。。。
それを、自分では
ピュアなあふれ出る愛情で
自然にできているものと思っていましたが、
一生懸命作ったお弁当を子どもが残して帰ってきたり、
時間をかけて作った食事に
何も感謝のコメントがなかったりすると、
<むっ>とする自分がいます(汗)。
そして、<こんなに一生懸命やってあげてるのに。。。>という
見返りを求めているかのような感情がでます。
一方、(もちろんすべての人ではありませんが)
わたしの周りのイギリス人の友人たちは、
子どもが学校に出かけるころに起きてきて、
かろうじて、パジャマ姿で、
見送ったり、お弁当
(こちらはもっぱらサンドイッチとスナックですが、)や
普段の食事に
愛情転化しているような感じには
あまり見えません。
こどもに朝ごはんを作らなくても、
お弁当が市販のものでも、
夕食が冷凍食品でも、
制服にアイロンをかけてあげなくても、
ゲームを買ってあげなくても、
また、子どもが、学校で誰かとけんかしても、
いじめても、いじめられても、
成績が良くても悪くても、
ずる休みをしても、
家のお手伝いをしてもしなくても、
I love you.という事実は
変わらないのです。
さらに、日本語は主語と動詞を省くことができるので、
例えば、“きょう、ごはん、何?”という
センテンスが
会話では自然です。
また、日本語は目的語を省くことも常です。
目の前にいる人に話しているのであれば、
“きのう、電話したんだよ”で言いわけです。
“あなたに”といわなくても。
英語は、主語をきちんとつける=
言葉の発し手をはっきりする。
目的語(人)をきちんと入れる=
言葉の受け手をはっきりする。
時制を細かく使い分ける=
時間的概念をお互いに間違いなく認識できる。
というようにできています。
これだけでも、日本人にとって
英語を習得することは
非常に不利であることがわかりますね。
(なので、ちょっとしたコツが必要なわけです^^。)
さらに、I love you. を分析してみましょう。
Iとyouの真ん中にloveがあります。
Iとlove, youとloveの距離は等間隔です。
youの前に toも at もwithも入っていません。
何か前置詞が入っていたら、
loveから I、loveから
youの間は等間隔でなくなります。
私はここがとっても重要だ思っています。
【きちんとした距離を保ち、
自分を相手の中に投影したり、
相手を自分の中に入れ込んだりしていない】ということが
はっきりとこのセンテンスで言えているのです。
とてもフェアな関係です。
これが主語や、時制、または目的語がないと、
実に無責任な(逆に奥深いとも言えるかもしれませんが)
言葉になってしまい、
け手のそのときの感情によって、
いかようにも取れてしまいます。
うちの子供がまだ小さかったとき、
ティッシュを部屋いっぱいにばら撒いたり、
食べ物を床に落として遊んだり、
そんなあまり良くないことを
いているのを目撃した瞬間に
私から自然に出た言葉は
“あー、だめでしょー”
“こら!もうやだー、やめてよー”
という感じでした。←あ、今でもです(汗)
今振り返ると、
とても無責任な言葉の放し方として
いたものだと反省します。
でも日本語としては自然です。
主語(発し手)も、目的語(受け手)も
時制もいれない、これらの言葉は、
天真爛漫で
あまり周囲を気にしないタイプの性を
持った子どもであれば、
なんてことなく聞き逃すでしょう、
でも、周囲をいつも気にしてしまうような
繊細な子だったら、その行動について
叱られているのではなく、
自分自身のその存在に対して
【だめ、もうやだー、やめてよー】
と言われていると
受けることもできてしまうのが
日本語の発し方であるということです。
英語は、受け手の都合で
どうとも取れるような文章には
できないようになっています。
You are good.→事実
You are doing good.→今起きている、やっていること
You did good.→過去の出来事(今は入っていない)
You have been good.→過去から今も入っている
You are going to be good.→これから起きることだが、
それに向かいちゃんとgo=進んでいると確信が持てている。
You will be good.→単にこれから先に起こるであろうこと
(積極的に向かってはいないけど)
というように、発し手の意思をきちんと
違いないように表現して
受け手に渡すことができ、
受け手はそれをそのまま受け取る。
ことができるのが英語です。
もうひとつ面白い例があります。
みなさんも、記憶に残っている方が
いらっしゃるかもしれませんが、
中学校(たしか2年生くらい
だったと思います)の英語の授業で、
It's very kind of you.
という文章ができきます。
山田君が教科書を忘れて、
佐藤さんが貸してくれたときに、
山田君が佐藤さんに言った言葉。。。
みたいなシチュエーションでした。
その時の英語の先生は<あなたは
とても親切ですね>という
訳を書きなさいと言いました。
私はまったく理解不能でした。
だいいち、<あなた>という
単語も入っていません。
なぜ、これが、You are very kind.
ではいけないのか。が疑問でした。
でも、英語で暮らす今となっては、
この2つの文章が
とても違う意味を含むことが
よくわかります。
It's very kind of you.の主語は
Itです。ここでは、
佐藤さんが山田君に教科書を貸してくれたと
いう行動を指しています。
動詞はBe動詞と呼ばれるis 。
私はこのBe動詞を
<イコール動詞>と命名しています。
前後のものをイコールで
結ぶ役目をしているからです。
We are Japanese.はWe = Japanese.です。
kindは親切であるという状態。
です。
さて、ここからが問題です。
ofは?これは、~の、と訳されることが多い単語ですが、
例えば、tast of chocolate チョコレートの味。
のような場合の<の>です。
意味的にはいつも、
<その部分>という要素を含みます。
チョコレートの色でも形でもなく、
味(という部分)と言い換えることもできます。
まとめてみると、
1)あなたが教科書を
貸してくれたということ=
あなたのとても親切な部分。
となります。
では、You are very kind.は
どうでしょう。
2)あなた=とても親切。です。
この二つの文は根本的に
違うことを言っていることが
お分かりでしょうか?
1)は、あなたという
全体像の中の親切な一部が、
この行動なのね。ということです。
あなたの人格すべてが
親切である。とは言っていません。
2)はあなたという人間と
親切をイコールで結んでいるということは、
人格すべてについて親切と
イコールだといっているわけです。
例えば、重い荷物を持って歩いているあなたに
通りすがりの人が手を貸してくれたら、
It's very kind of you.でなければいけません。
初めて会った人の人格は
わからないわけですから。
また、例えば、あなたが銀行に行って、
ちょっと煩雑な手続きをしなければならないとしましょう。
ある銀行員さんが、最初から最後まで、
丁寧に説明してくれて、あなたはとても助かったとします。
そんな時、日本語であれば、
“ありがとうございます。助かりました。
大変お世話になりました。”のような感じになると思います。
日本語の発想にのっけた英語では
“You are very helpful.” と言いたくなりませんか?
でもやはり、そのとき初めて会った人の
人格そのものがhelpfulとイコールとは
言い切れないのです。
正しくは、“You have been very hefpful.” です。
have beenは現在完了形と習いました。
過去に起きた状態を今もhave持っている。と
言ってます。
ということは、私がこの手続きをお願いしてから
今に至るまでの間、
あなたはずっとhefpfulな状態でしたよ。
ということですね。
逆に、その間以外のあなたについては
わかりませんけどね。ということも
きちんと意味の中には含まれていると言えます。
これは、時制のルールにのっとっているので、
発し手も受け手も勘違いすることはありません。
子どもをしかるようなとき、
夫婦喧嘩のとき、家族の口論のとき。。。などの
ネガティブな場面では特に、
ここをはっきり言えるということは
<あなたの人格を否定しているわけではなくて、
あくまでも、あの時あなたのとった言動に対して
批判的になっている>と言う、
お互いの認識は誤解の余地がないのです。
ちょっとややこしいのですがいかがでしょう?
英語を知ることは、
日本語をより深く知ることになります。
時代が変わり、いろいろな意味で
生きにくくなった時代、
昔と違った日本語の使い方を意識することで、
ちょっと生きやすくなるかもしれません。
日本のある人気バラエティー番組で、
とても有名な女性評論家がこんなことを言っていました。
“今の日本の若者は自己否定感が強すぎる。
私は毎回、本を書き終えるごとに「わたしって、天才!」って思うわよ”
んー、んー、これは自己満足、
自己評価が高い。と言うことですね。
自己否定しないと言うことは
<わたしは天才じゃなくたっていいんだ。> ですね^^
最後に、一応、英語講師らしいことを書きます(笑)。
英語を日本語訳に照らし合わせて
覚えるように習ったのが、
これまでの学校で習った英語です。
私がレッスンでよく使う写真や絵、これは、
これまでの学校英語でできた回路を
いったん解除する役目をしています。
男の人が大きな袋を肩にかついで
歩いている写真があります。
多くの方は
なかなかこの動きを英語にできません。
でも私が“運ぶ”って英語でなんですか?と聞くと、
ほとんどの方はcarryが出てきます。
このように、私たちの脳は運ぶ=
carryと言う回路はできていますが、
視覚的な情報からの処理回路はできていません。
この処理回路ができることが、
英語を話せる。ということになります。
でないと、常に、“運ぶ”と言う
日本語単語を見たり聞いたりしない限り、
carryは登場できません。
知っている単語なのに、
いざ話すときに全く出てこない。のはこのためです。
長くなりました。
おやすみなさい^^。
――――引用ここまで―――
出典元:チエミ先生のブログ
『大人になってから
英語を話せるようになるために』
http://blog.livedoor.jp/chiemi_uk/
英語の構造から日本語との違い,
その違いからくる日本独特の
考え方。
いろんなことの分析が
おもしろいですね!
質問,意見や感想などお待ちしています。
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。
Aza
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