2016年6月9日木曜日

日本へ帰国

アザースです。閲覧ありがとうございます。

チエミ先生の英語
英語以外の
帰国部分も楽しそうですよ

――――引用ここから―――

トークでお会いしている方々はご存知の通り、
10月末、バタバタと、
本当に信じられないくらいタイミングで、
いろいろなことが重なり、
2年半ぶりに日本に帰りました。

両親が仕事の都合で1週間ほど東京にいる
・妹家族が東京で仕事のため、
マレーシアからやってくる
・夫が東京でいろいろな打ち合わせ。。。。

などなど一気に、
んではがんばって行くか!
という流れになったのでありました。

普通に考えたら、各地に散らばる友人や家族、
親戚に会うためには
いろいろと移動しなければならないのですが、
一気にみな、東京に集合しているタイミングで、

しかも、関西方面にいって
これまた一気に関西に住む友人たちにも会うことができる。。
と言うことで土壇場決定にしては、
あまりにも充実した、濃いい2週間を、
過ごさせていただきました。

そして帰ってきて、
イギリスのどんより暗ーい天気にもどり、
なんとか、日本充電エネルギーで
この冬を乗り切ろうーと思うのでした。

2年半離れると、日本を見る目は、
ちょっと外国人風になり、
いろんなことが真新しくもあり、
懐かしくもあり、その感覚がとても楽しみました。

長女はかなり、というか鮮明に
日本の記憶があるので、
あー、ナツカシーという感覚、

長男は、大好きだったことは
鮮明に記憶にあるが、
だんだんいろんな記憶がよみがえってきて、
街路樹の銀杏の匂いとか、
おすし屋さんの前を通ったときの匂いとか、
体でいろんなことを思い出してきていた様子、

次男は、終始、きょとんとして、
すべてが新鮮で何もかもが楽しいー
と言う感じでそれぞれの反応も面白かったです。

さて、「日本人と英語」についても
いろいろ考えたり感じたりしました。

うちの両親は全く英語を話せない
普通のおじさんとおばさんですが、

娘2人がどちらも外国人(イギリス人とアイルランド人)
と結婚したために、
家族全員集合して、会話が始まると、(特に父は)
だんだん英語モードになってくるのがあまりにも、
毎回、面白いのです。

母はというと、これまたなぜか、
ほとんど日本語が分からない、
イギリス人とアイルランド人を
相手に、ゆっくりと日本語を丁寧に話して

(それでもわかるわけはないのですが、、、、)
いるのがすぐく笑えてしまうのです。

父は、なんでも、
「はい おっけーおっけー」「ぐっど、ぐっど」「デリシャスー」
と言うのりで、

でもなんだかいつもコミュニケーションをとっていて、
本当に笑ってしまいます。

私の娘に「ちょっと通訳して」と頼みながら、
娘は父の東北弁が理解できず、
それも笑ってしまいます。

でもこの調子でも、
ちょっとコツと英語のルールを身につけたら、
実はすぐに話せるようになるんじゃないかな。
と思わせることもよくあります。

なぜなら、「この人にこれを伝えたい」
「これを英語でなんとしてでも言いたい」

「きのう、これを言えなかったから、
今日はがんばってこれを言いたい」
という気持ちが、どんどん70歳近い
英語が全くできない日本人をも、
動かしてしまうような醍醐味を父からいつも感じます。

これは父に限ったことではないと思います。

私は、いつも、特にレギュラーの生徒さんには、
トークの前に「何か質問や、
今日話したいことありますか?」と聞くようにしています。

言語を身につけようとする場合、
いかにその言語を生活の場にしみこませるかが大事
なので、

「洗濯物をたたむ」と言う、言い方が分かりませんでした。。。
「会社で部下に何かを頼むときには
こうでよいのでしょうか。。。。」のような
日常的な疑問がわいてくることが当然となってきます。

言語は他の学問と違って「教わる」ものではない。
と私は思っています。
なので、上達するかしないかは本当に自分次第で、
そこへちょっと手助けをさせていただくのが
私の仕事です。

久しぶりに日本に帰って衝撃的に感じたのは、
いつ、どこでも、

「誰かが、なんでもやってくれる、教えてくれる」
的な社会風潮でしょうか。
新幹線にのっていたら、
まだ到着までには10分ほどあるはずなのに、

音楽が鳴り、「そろそろ荷物をまとめ始めてください」
というアナウンスがあり、その後5分位してから、
到着のアナウンスがあったり、

究極だったのは、
「電車の乗り降りのさいに携帯電話を使っていると、
他の人にぶつかったりして危険なので、ご注意ください」
というアナウンスでしょうか。

注意している先は大の大人。。。。。
そんなことはちょっと考えればわかることだし、
もし、それをして怪我をしたり携帯を落としたりしても、
それは本人の責任なので、

なにも「注意するよう教えてあげる」必要なんて
ないのでは。。。。

これが慢性化すると、
何も考えない大人になってしまいそうな気がしました。

英語を習得するときも
常に「教えてくださいー」と言う姿勢では、
決して上達はできないのだと思います。


どんなに初心者の方でも、トークの前に、
今日はこれを話してみよう!と、一生懸命、自分なりに、
今日の出来事などを、話そうとしてくださる方には
心から敬意を表します。

そして、それは、こういうところが間違っていたんだ、
ここはこの前も間違えた。。。と
そこで確認ができるからこそ、次につながるはずです。

今の時代、誰もがパソコンを使いこなせますが、
パソコン初心者に「パソコンの使い方教えて~」と言われると
結構、困ってしまいませんか?

どのような目的で、どの辺りの機能まで使えればよいのか?
などにより変わってきますし、

電源の入れ方やシャットダウンのしかた、などの
基本的な機能を教えて、あとはその時の用途で
いろいろ自分でやってみるしかない。。。的なところがあると思います。

英語を話せるようになるのも、これととっても似ている気がします。

日本の学校の授業では、どの子供も、
教科書、ノート、下敷き、筆箱。。。が
きちっと机の同じ場所に配置され、

「ここに赤線を引いてください~」とか、
「はい、では写して下さい~」とか、そんな先生の指示のもと、
言われたとおりに「書く」ことにとても重きを置かれていますが、

英語学習にそれを適応しようとすると
いつまでたっても

「話せるようにはならない」のだと、自分の経験を通しても思いました。

日本人は英語が苦手と言われる由縁は、
英語を学問にしてしまい
(そのほうがなんとなく自分にとって都合がよく、
たくさん書くことによって、勉強している気がする。。。。)

本来の、「英語って、言語ってなに?」
という大前提が、
全く無視されてしまうからだと思います。

やはり、ここを無視せずに、
何のために英語を話せるようになりたいのか?
をきちんとした出発点にして

これからも皆さんと、
お付き合いさせていただこうと思っております。

あー、それにしても日本の食事は
どこで何を食べても美味しかったです~。

――――引用ここまで―――
何も考えない大人
何のために英語を話せるようになりたいのか?

耳が痛いですが,受け身気味の自分
改善点多そうです。

英語との向き合い方
あなたはどうですか?

質問,意見や感想などお待ちしています。
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。
アザース

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